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たとえ誰に否定されたって

カトゥーン時々アラシ

FREESTYLEⅡを鑑賞してきました

くっそ長い上に何の捻りもないただの感想。

しかもネタバレ満載。

 

 

わたしはアートに疎い。

疎い、というより何をもってして「アート」と呼ぶのかわからない。いくら観てもわからなくて、だからこそ美術館や○○展と題されている催しにわりとよく足を運んでいる。…方だと思っている、同世代の中では。

そしてそこでのわたしの興味は作品どうこうというよりも色や素材などそれを形作るマテリアルの方にある。前職であり現在進行形で続けているネイリストとしての見方が強いのだと思うけれど、そんなド素人全開のわたしをも表参道ヒルズの地下3F、それは扉を大きく開けて待っていた。

 

一言で述べてしまえば、個展につけられた表題通りだった。

 

作品集を見てから行った方が楽しめるよ、と先に行った方々全員からまったく同じアドバイスをいただいておいてそうしなかった。今思えば、心のどこかで実物を見るまで開きたくなかった部分があるのかもしれない。

まず行ってみて驚いたのが1つ1つの作品に説明どころかタイトルさえ表記がないこと。

やっぱり予習してくるべきだったかな、と少しだけ後悔した。(先に見ていたところで、作品集にも記載はなかったけれど。)

多分本人は、自分の意図と違った受け取り方をされたところで何の問題もないし、それどころか「それでいいんだよ」ぐらいの大らかさすら持ち合わせているんだろうけど、こちらとしては自分の目で見られる最初で最後のチャンスなのでなるべく正解に近いものを得て帰りたい。(という強火)

そもそも智くんが制作時の環境における自らの気持ちを創作にぶつけて表現していることと、それを我々のような庶民が拝見してもいいという権利を与えてくれたことへの尊さといったら…!(という強火)

 

が、その必死さは中に入った瞬間になくなった。

もうね、自由。絵に描いたようなフリースタイル。

こちらが構えていたのがバカバカしくなるぐらいウェルカム。

まず出迎えてくれたのはフィギュアとそれを撮った写真。智くんが撮る写真がすごく好きなんだけど、その色彩の眩しさと晴れやかさはさっきまで勝手にあれこれ頭で考えていたことをすべて忘れるレベルで。

作品展示の手前の壁に智くんからのコメントが載せてあるんだけど、伝えたいこととか特にないですってきっぱり言われてむしろ清清しい。一番興味のある素材がどうこうっていう点において早々に正解を見出すことを諦めさせられたけど、それも含め「わたしが間違ってたごめん」ってなる。「色々考えすぎてごめん」ってなる。そういうんじゃない。あちらサイドがとても気軽だった。

 

7年前の個展は行っていない。

作品集でしか見ていないためそれが正解かどうかはわからないが、より美術的になったように感じた。もちろん智くんぽいなっていう表現の仕方というか、大元のところでは変わってないと思うんだけど、この7年間で多くの著名なアーティストの方と出会いそれなりに影響を受け、またアドバイスを素直に取り入れたり生かしたりアレンジしていったことが見て取れるぐらいにアーティスティック度が増してるように思えた。

グッズにもなっているパグの絵は、2枚とも似ているようで全然違う作品だった。そして想像以上にサイズが大きかった。何度も重ねては離れて見て、を繰り返したんだろうなと想像出来る。幾重にも色が交わっている様子や筆の跡、あえて残したのかとも予想出来る黒鉛での下書きなど、やっぱり画像や写真だけでは全て伝わりきらない軌跡なので本当に自分の目で見られて良かったと思った。ベースの白1つとっても、ただ「白」を均等に塗っただけではなかったから。

個人的には、智くんが左腕に顎を乗せてただただ書き進めていることが容易に想像出来て一番智くんらしいなと思う細密画が一番好き。途中でペンが止まってしまったことや改めて再開出来たことなどその中には実は多くの苦悩や迷いが含まれていることは後に作品集で知ったことだけれど、それなのに結果的に明るい印象で着地するからすごい。智くんがペンを進め続けた感情のゴールと出来上がりが一致して初めて完成することを知れた気がする。

ラメがかった真っ赤からベージュっぽいグラデーションへと染められた智くんの頭部と思しきモノへ集まる(もしくはそこから広がっていく)小さなフィギュアたちの思い思いの姿と、数分に1回流れる謎の映像のシュールさには、変わらない智くんを感じた。大体、智くん顔小っちゃすぎる。

釣り針にかかったあの顔も智くんのものかなあ。顔小っちゃすぎる。(2回目)

釣竿は持ち手からリール、竿部分までほぼシルバー1色にされていて、そこを含めると天井付近まで空間を使った大掛かりな作品なのにそのシルバーのおかげでメインの作品がより一層色鮮やかに際立ち、「釣り」という智くんを表す大きなキーワードをアピールしつつのそのバランスはとても心地よかった。

多分わたしは智くんの創り出すモノの緩急のバランスが好きなんだと思う。

振りもそう。智くんが振付けた、と言われるものは一番気合いを入れて作ってしまいそうなサビで意外なほどゆるくなる傾向にあってそれがたまらない、と常々思っていた。

今回の個展の中でも、怪物くん画の周りに散らした、撮影で智くんが実際に使ったという耳の配置のバランスがとても好きで。個人的に創作や施術で使うアートパーツの配置はかなりこだわる方なので、わたしだったらそうだな~まずそこに置いてその隣はこのぐらい開けてそしたら反対側はこのぐらいにするかな、っていう何とも言葉で表現出来ない感覚が、智くんは無意識的にセンスで導いたとしてもそこが高確率でマッチしていた気がしてその心地よさは絶大だった。

 

という自己満足を経て、最後の最後にやってくる嵐4名の智くん画。

もうね、ここの前で何時間でも過ごせるって思った。ちょっと面白いんだけど、ただただ愛おしいしかない。作品集の4人の座談及び作品公開のくだりは本気で笑ったし、それを受けた智くんのコメントが本気で泣けた。そういうところを含めて「宝物」なんだなあ、と思って。泣いた。(いつだって泣く)

その部分だけでも美術の教科書に載せるべき。

美術は先生とのセンスの合致で評価が決まると思っていたし実際同じ先生から2を取ったこともあるし5を取ったこともある。でも、センスどうこうじゃないんだよっていうのを今この歳になって教わった感ある。ちょっと面白くなろうが、だいぶ似てなかろうが、一生懸命にやるってそれだけで素晴らしい。得手不得手はあるにしてもそこに描いた人がちゃんと表れるからすごい。何が言いたいかっていうと相葉くんの本来の繊細な部分が露呈しちゃっててこちらが戸惑った。ちなみに先に出した成績に関しては作品の出来だけでなく授業態度も含んでいるためそこに関しては大変否定しづらい。笑

 

好きで続けてきたことがこうして形になって、最近仕事として絵を描くことが増え多くの人に見てもらえるということがファンとして嬉しい反面、このまま依頼されたものに応える形での創作活動になって最終的にビジネスライクになってしまったら嫌だなあという気持ちもあって。(いやまあ絶対ならないだろうけど)

見せてもらえるのは大変ありがたいし嬉しいし喜んで見に行くけれど、このまま智くんらしくただただ好きなものを作っていってほしいと思った。今回はわりと率先して個展のために、って用意したものもあるみたいだし、そうすることへの難しさを知ったり守りに入ってしまう葛藤もあったようなことを本人も言っているのでそれはそれで大きな経験値になったとしても。

「誰かに見せるから」とか気にしないでのびのびとやってほしいという気持ちにもなったのは事実。きっと、もともとそうだから、“見せるため”に準備したとしても8割以上は赴きのままに筆を持っているとは思う。けど。

「立体がやりたくなった」

「油絵はやってなかったからやってみたけど部屋がくさくなるからもういい(笑)」

「説明読まないで勢いでやっちゃって失敗する」

とは本人の言葉(ニュアンス)で。根底にある「好きでやってる」の精神とそれに突き動かされるままの表現を、今後アーティストとしてどのように扱われていっても、そこだけはどうしても崩してほしくないな、と強く思った。

 

智くんは自分の作品を出すときに必ず「これが何かのきっかけになれば」と言う。

この個展を受けて、今すぐどうこうしようっていうのは特にない。結局「アートとは」の部分で盛大に躓いたままである。けど、こんなに長々と思うことがあってそれを書き残しておこう、と思ったことがすでにわたしへ多大な影響を与えた結果なのだと思う。